二宮神社 (神戸)| にのみや |Ninomiya Shrine 神功皇后(じんぐうこうごう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
第九代開化天皇の曽孫にあたり、日本武尊(やまとたけるのみこと)の子・第十四代仲哀天皇の妻となって神功皇后と称されるようになりました。 父・日本武尊に平定されて平穏を保っていた九州の熊襲が、再び反乱を企てているとして、仲哀天皇と神功皇后は揃って熊襲征伐に向かうのですが、天皇は香椎宮(福岡県:官幣大社)で志半ばにして崩御されたため、代わって神功皇后がこれを平定します。 さらに神功皇后は、住吉三神を守り神として軍船を整え、朝鮮半島まで遠征して三韓を平定するという大事業を成し遂げるのです。 三韓長征の帰路、摂津国に立ち寄った神功皇后は、長田(神戸市:式内社、官幣中社)生田(神戸市、式内社、官幣中社)、広田(兵庫県、式内社、下八社、官幣大社)、住吉(大阪市:式内社、官幣大社、中七社、摂津国一の宮)の四社を同時期に建立しました。 生田神社建立の祭に神功皇后は、当社をはじめとし、天皇家ゆかりの神々をお祀りする生田近辺の八社を巡られたため、この時の参拝順序にしたがって、一宮~八宮神社と称せられるようになりました。 子の第十五代応神天皇とともに、八幡神社の総本山である宇佐神宮(大分県:式内社、官幣大社、豊前国一の宮)、石清水八幡宮(京都市:官幣大社)、鶴岡八幡宮(神奈川県:官幣中社、相模国一の宮)などにお祀りされているほかに、住吉三神を当地にお祀りしたことにより住吉大社にもお祀りされています。