二宮神社 (神戸)| にのみや |Ninomiya Shrine 八社巡拝
神戸八社
『八』という数字には不思議な魅力を感じます。 末広がりや永遠(インフィニティ)といった言葉も連想されますが、昔の人々は八百萬の神・八百八町・八街などの言葉からもお解りのとおり「数え切れないほどたくさん」つまり、 最大数としてとらえられていたようです。 古来、一宮から八宮を総称して厄除け神戸八社といい、これら八つの神社を巡ると厄除はもとより健康長寿や安産、良縁祈願にも霊験あらたかと伝えられてきました。 皆さんも各街並みを漫ろ歩きしながら八社を巡れば、数え切れないほどの発見と御利益が待っているかもしれませんよ。 二宮神社宮司 山西乙平
港神戸守護神厄除八社巡拝
神戸一の繁華街「三宮」の地名は、三宮神社に由来していることをご存じですか。
神戸市には「一宮」から「八宮」までも数字の付いた神社があります。
そして、それぞれの神社には、天照大御神と素盞嗚尊が剣玉を交換し誓約したときにお生まれになられた「五男神」と「三女神」がお祀りされています。
摂政元年(西暦二〇一)、神功皇后が三韓を無血平定された帰途、敏馬の浦にさしかかったところで御神託を受け、生田神社を御創建なされましたが、その際、縁ある神々を祀る社として、この「一宮」から「八宮」までの各神社を巡拝されたことから、その参拝順位を社名に冠したと伝えられています。
厄除け八社巡拝
神功皇后は第九代開化天皇の流れをくむ息長宿禰王と、新羅国王の子天日矛命の後裔葛城之高額比売の長女としてご誕生され、お名前を息長帯比売命と申しましたが、二十四才のとき、第十四代仲哀天皇の后となられ、神功皇后と名乗られました。
その後、九州の熊襲平定時に負ったケガがもとで亡くなった仲哀天皇に代わり、仲哀天皇との子を身ごもった体で兵を挙げ、一滴の血も流すことなく九州の熊襲を平定し、続いて、新羅・百済・任那の三国も無血にて平定されました。
そして凱旋帰国の途中、九州の地で品陀和気命をお生みになられ、大和国にお帰りになられる折、敏馬の浦(神戸港)で御神託を受け、生田・長田・廣田・住吉の社を御創建されました。
その後、息子である品陀和気命を第十五代応神天皇として即位せられ後、百才の長寿を全うし永眠されました。
この故事にあやかり、江戸時代頃より節分にこの八社を巡拝する「厄除け八社巡拝」が盛んになり、現在では節分はもとより正月や休日なども八社を巡拝されるようになりました。
尚、八社を巡拝すると厄除け、安産、健康長寿の御利益を授かると信仰されています。
港神戸守護神 | |||
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一宮神社 | 田心姫命 | 素盞鳴尊の子で宗像三神のひとり | 交通安全、縁結び、商売繁盛 |
二宮神社 | 天之忍穂耳命 | 天照大神の長男で瓊瓊杵尊の父にあたる皇室直系神 | 勝運・金運上昇、病気平療 |
三宮神社 | 揣津姫 | 素盞鳴尊の子で宗像三神のひとり | 商売繁盛、知恵授け |
四宮神社 | 市杵嶋姫命 | 素盞鳴尊の子で宗像三神のひとりで、大国主命の妻 | 芸能・習事成就、縁結び |
五宮神社 | 天穂日命 | 天照大神の第二子。天孫降臨に先立って視察に派遣された | 家内安全、五穀豊穣 |
六宮神社 | 天津彦根命 | 天照大神の第三子 | 武運長久 |
七宮神社 | 活津彦根命 | 天照大神の第四子 | 航海・海上安全、縁結び |
八宮神社 | 熊野杼樟日命 | 天照大神の第五子 | 厄落とし |
御由緒の項で述べたように、神功皇后は三韓長征から大和への帰路、敏馬浦(神戸港)で御神託を受けて生田神社を建立する折に、天皇家にゆかりの深い神々が祀られている八社を巡拝しました。
八社はそれぞれ、天照大神の子である五人の男性神と、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の子である三人の女神を御祭神としており、神功皇后の参拝順位に従って一宮、二宮…八宮という数詞が冠されました。
神戸最大の繁華街・三宮は、この時に名付けられた三宮神社に由来しています。
この故事に肖り、江戸時代以降、節分に八社を巡る「厄除け八社巡拝」が盛んとなり今日に至っています。
港神戸守護神 御歌 | |||
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一宮神社: 神戸市中央区山本通1丁目3-5 | |||
二宮神社: 神戸市中央区二宮町3丁目1-12 | |||
三宮神社: 神戸市中央区三宮町2丁目4-4 | |||
四宮神社: 神戸市中央区中山手通5丁目2-13 | |||
五宮神社: 神戸市兵庫区五宮町22-10 | |||
六宮神社: 神戸市中央区楠町3丁目4-13 | |||
七宮神社: 神戸市兵庫区七宮町2丁目3-21 | |||
八宮神社: 神戸市中央区楠町3丁目4-13 |
神戸には一~八までの数字のつく神社があります。
これらの八つの神社は生田神社を囲むように点在していて、生田神社と関係の深い神社であると伝えられております。
神戸八社は天照大神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が、剣玉を交換して誓約した時に生まれたという三女神・五男神がそれぞれに祀られています。
創建年代は不明ですが201年、神功皇后が朝鮮出兵した帰りに巡拝した順を社名に冠したという伝説が残されています。
神戸八社は港神戸守護厄除八社とも呼ばれ、数字の順に巡ることを八宮巡りといい、厄除けになるとされています。