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二宮神社 (神戸)| にのみや |Ninomiya Shrine 第一代神武天皇

第一代神武天皇

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子である山幸彦と、伊弉諾尊、伊奘冉尊(いざなぎ、いざなみのみこと)の子で海を支配する大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘である豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)との間に生まれた鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の子が、第一代神武天皇で、瓊瓊杵尊の曾孫にあたります。 天照大神の神勅に従い、当時は皇太子であった神武天皇は、45歳にして日向国を後にし、瓊瓊杵尊の兄である饒速日命(にぎはやひのみこと)が早くから天下って君臨していた東方の大和国に遠征します。 神武天皇一行は日向から海路で難波にたどり着き、陸路大和国入りを狙いますが、饒速日命の義兄にあたる大和の土豪・長髄彦(ながすねひこ)の激しい抵抗にあって退却を余儀なくされます。 一行は辛苦を極めて海路で熊野に到着しますが、そこから大和国までは峻険な山岳路のため、進路は難渋を極め、行軍が遅々として進まなかったのですが、別天神の高御産巣日神(たかみむすびのかみ)が遣わした八咫烏の案内により、神武天皇一行は再び長髄彦と対決します。 戦いは激しい攻防となりましたが、金色の鵄(とび)が神武天皇の弓にとまり、金色の光で長髄彦軍を蹴散らします。 その後、天照大神の御神勅による神武天皇の東征を正統であると認めた饒速日命が、長髄彦を殺害して大和の平定が実現します。 神武天皇は、橿原に新宮を営み、第一代天皇として御即位されます。 神武天皇は、即位された橿原宮の旧地に建立された橿原神宮(奈良県:官幣大社)に、皇太子時代のお名前である神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)は、宮崎神宮(宮崎県:官幣大社)にお祀りされており、即位された日に因んで、二月十一日は建国記念日とされています。